北千住大会見所。メイン編(必読)/石川雄規選手のオフィシャルブログ【情念の部屋】より

今回のメイン。
澤 宗紀&山本裕次郎
VS
スルガマナブ&SEIKEN

この4選手は、実はアマチュア時代に深い接点がある。
かつてバトラーツジムは、プロ選手が一般会員に総合的格闘技を教える草分け的ジムであった。
※佐山先生のシューティングジムは総合格闘技のパイオニアだが、創世期はあくまでも“プロ選手”“プロ協会”を作り上げるための虎の穴的な色が強かった。
さて、
スルガマナブ(原学)とSEIKENは、バトラーツジムの会員であった。
SElKENの方がアマチュアレスリングの土台もあり、最初の頃は年齢的にもほんの少し経験値でマナブを上回っていただろうか。
まだ高校生だったマナブは、年齢を重ね、成人式を迎える頃には、急激に力をつけてきた。
そしてマナブはバトラーツ新弟子になり、実は私が一番目をつけていたSEIKENは新弟子にはならず、何処かへ姿を消した。

時を少し巻き戻そう。
当時バトラーツは、出張B-CLUBとして、大学生の総合格闘技サークルに教えに行っていた。
そこに、強いんだか弱いんだかわからない変な奴がいた。その男の名は、澤宗紀といった。

バトラーツジムは、グラップリングのアマチュアトーナメントを定期的に開催していた。様々なチーム、道場、ジムのオープン参加により、主催のB-CLUBからはマナブ、SEIKENが、出張B-CLUBからは澤が。そしてアニマル浜口ジムからは山本裕次郎がエントリー常連組だった。
※山本ストーリーはこの過去ブログを参照。
http://ishikawayuki.blog.players.tv/pages/user/m/article?article_id=15671014

マナブ、澤、SElKEN、山本は、同時期、アマチュア時代にライバルだったのだ。

トーナメント時、相変わらず強いんだか弱いんだかわからないアイツに、私は何かを感じた。
「澤、なんかわからんが、何年か後、おまえとタッグを組んでいるような気がするんだよな」
新弟子に入門してくると期待していた奴は、俺の前には現れず、どこかでハゲヅラと付けヒゲ、ランジェリーをつけ、ランジェリー武藤と名乗りプロレスラーらしきことをやっていた。

2002年の冬だったろうか、ランジェリーの変態野郎は、このままじゃラチが明かないと思ったらしく、あらためての弟子入りを志願してきた。
もちろん、俺は、澤宗紀の名前はしっかりと覚えていた。

今、様々な道を経て“奴ら”が帰ってきた。

そして、バトラーツ興行のメインイベントを飾るのだ。

見逃すわけにはいかない。


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